現場管理技術
水耕栽培は危険?量販・給食の仕様書で見る現実
量販店のバイヤー、外食チェーンの仕入れ担当、給食を預かる施設——出荷先から「その水耕栽培、安全性はどう説明できますか」と問われる場面があります。答えに詰まるとすれば、それはたぶん、頭の中で「危険か、安全か」を探しているからです。けれど相手が知りたいのは、白か黒かの判定ではありません。あなたが何を保証し、何は保証しないのか。その線引きのほうです。
先に断っておくと、私がこの記事で念頭に置いているのは、葉物を人工光型の閉鎖系で育てる水耕です。果菜を育てる場合や、太陽光を併用する型だと、病害虫の圧が上がって農薬を使う水耕現場も実在しますし、ここで言える範囲は変わってきます。うちのこの型ならこう言える、という前提で読んでもらえればと思います。
「無農薬で安全」は相手の受け取りとずれる
「水耕栽培って危険なの?」——ネットでこの問いを見かけたことはないでしょうか。ただ、危険か安全かでジャッジして終わりにすると、見落とすものがあります。実際に作って売っている側からすると、もっと切実なのは別の場面です。「無農薬です」「クリーンです」と言ったとき、相手が受け取る意味が、自分の思っていたのとずれる。
たとえば、こんな経験はないでしょうか。水耕は「無農薬でクリーンですよ」と案内できるのが強みだと思って、そう伝えていた。ところがあるとき買い手から「水だけで育ってるなら、その水って大丈夫なんですか」と聞かれる。あ、そっちが気になるんだ、と気づく。自分は農薬の話のつもりで「安全」と言っていたのに、相手は液肥や水の管理のほうを心配していた。思い返すと、似たズレは一度ではありませんでした。
液肥や水の管理は、農薬とは別の軸の話です。だから混ぜずに分けて答える。「無農薬」と言えるのは、あくまで農薬を使っていないという一点についてだけです。水耕の場合、その水は液体肥料を溶かした培養液で、ただの水ではありません。だから「水だけで安全」という言い方は、こちらの意図と相手の受け取りがずれやすい。農薬の話と水の管理の話を切り分けて、「農薬は使っていません。育てる水は肥料を溶かした培養液で、濃度や入れ替えをこう管理しています」と、事実だけを並べる。安全と言い切るより、何をしていて何をしていないかを見せるほうが、相手の不安にちゃんと届きます。結局これは、安全か危険かではなく、こちらが「無農薬」と言える範囲と、相手が勝手に広げて受け取る範囲、その線をどこで引くかという話なのです。
買い手の心配は農薬とは別の軸にある
買い手の心配は、毎回少しずつ違います。水のことを聞く人もいれば、虫や衛生面を気にする人もいる。それなのに、こちらは「無農薬で安全」とひと言で済ませようとする。だからズレる。そう考えると、心配の種類が変われば、こちらが言える範囲のほうも変わってくるはずです。

実際そのとおりで、ここを揃えることが大事になります。農薬を聞かれているなら「使っていません」と言える。でも虫や衛生を聞かれたとき、「無農薬だから安全」では答えになっていません。虫の話なら、防虫ネットや栽培環境をどう管理しているか。衛生の話なら、収穫後の扱いや水の入れ替え。それぞれ別の事実で答えるしかありません。「無農薬で安全」というひと言は、こちらが一番言いやすい言葉を、全部の心配に貼り付けているだけ、とも言えます。だからズレるのです。相手が何を心配しているのかを先に一つ引き出して、その軸についてだけ、やっていること・やっていないことを返す。安全と言い切るのではなく、聞かれた範囲に事実をそろえて返す。私の経験では、この順番に変えると、相手とのズレが減っていくことが多かったです。
相手の心配が毎回少しずつ違うというのは、感覚的な話ではありません。都市型・閉鎖型の栽培物に対して、汚染や「なんとなく不自然」といった不安が、地域や調べ方を変えても繰り返し挙がってくる——消費者調査ではそういう報告が複数あります(参考: 1, 2)。新鮮さは評価されているのに、それとは別枠で汚染リスクの心配が残る。しかも、有機的で素朴な作り方は受け入れられやすい一方、集約的・高度な技術を使った栽培ほど受容が下がる傾向も見えています(参考: 1, 2)。「無農薬です」のひと言が全部の不安に効くわけではない。相手が抱えている不安は、農薬とは別の軸にあるのです。
心配を切り分ける——どこが水耕固有か
心配がいくつもの軸に散っているなら、まずどこが水耕に固有の話で、どこがそうでないのかを切り分けておくと、返しやすくなります。

汚染の入り口は、大きく分けると三つの経路で考えられます。一つは葉や茎の表面に農薬や菌が付着する経路、もう一つは根が水中の物質を吸い上げる経路、最後に収穫したあと流通や保存の途中で付着する経路です。このうち表面の付着と収穫後の付着は、土で育てようが水で育てようが起こる話で、水耕かどうかとは直接関係ありません。水耕に固有なのは、真ん中の「根からの経路」だけです。だから買い手に「水耕だから危ないのでは」と漠然と心配されたときは、まずこの切り分けを返せます。表面と収穫後は栽培方式の問題ではなく扱いの問題、水耕で固有に見ておくべきなのは根経路、と。
その根経路にしても、「水に害のあるものが溶けていれば植物がどんどん吸い上げる」というイメージは、実際とは少しずれています。根から入れるのは水に溶けたイオンや小さな分子に限られて、固形物のような異物は、そもそも根が取り込めません。微生物がわずかに根から入ることはありますが、人に害のある菌が植物の体内で増えて食中毒を起こす、という事態はほとんど起きません。植物そのものにも菌を防ぐ働きがあるからです。水源の管理が前提になるのは確かですが、これは井戸水や用水を使う以上、水耕でも土耕でも農業全般に共通する話で、水耕に固有の弱点ではありません。こうした機構は、気分の不安を「何をしているか」で返すときの具体的な材料になります。
気分の不安と仕様書の実務を切り分ける
こうやって振り返ると、「無農薬」は農薬を使っていない一点しか言っていません。水のことも虫のことも衛生のことも、何も答えていない。それでも無農薬と言えば全部カバーした気になっていた——こんな経験はないでしょうか。買い手が次々と違う心配をぶつけてくるのは、無農薬では埋まらない空白に気づいているからかもしれません。
ここで、買い手の心配には二種類ある、と整理しておくとよさそうです。一つは「なんとなく人工的で不安」という気分の話。もう一つは、量販や給食の仕様書に数値基準が書いてあって、それを出せないと取引にならない、という実務の話。同じ「安全性」の問い合わせに見えても、返し方はまるで違います。そして実際の商談では、相手はこの二つを混ぜてぶつけてきます。気分の不安と提出書類の要件が一つの問いに溶けていて、しかも力関係で下に立つ生産者ほど、聞き返しにくい。
それでも、聞ける範囲で心配の軸を一つだけ絞れると、ぐっと返しやすくなります。「気になっているのは育て方そのものですか、それとも提出が必要な基準や書類がありますか」と一つ尋ねてみる。きれいに分けて答えてもらえないことも多いですが、混ざっていても、まずどこか一点から事実で返していけば足ります。気分の不安なら、安全と言い切るより、農薬は使っていない・水はこう管理している、と事実を並べて見てもらうほうが届きます。安心は数字より「何をしているか」で伝わるからです。実務のほうは別物で、説明では埋まりません。残留農薬の検査結果や産地・栽培記録、菌数の基準など、仕様書に書かれた項目を満たす証拠が要ります。こうした検証項目を事業リスクとして洗い出すと、何を揃えればよいかが具体的に見えてきます。出せないなら、その基準には対応していないと早めに伝える。無理に「安全です」で押し切るより、出せるものは出す——仕様書で求められる項目は実際にあって、私もそれを検査結果や記録の形で提出してきました。安全性は商談で点を稼ぐ加点項目というより、満たせていないと土俵にすら上がれない前提条件に近い、というのも頭に置いておいたほうがいい。見分けの軸は、相手が求めているのが納得なのか、証明なのか。そこが違えば、こちらの手札も変わります。
もっとも、気分の不安のほうも、説明を足せば必ず安心してもらえるとは限りません。栽培方法の受け止め方は買い手の属性でかなり変わり、有機的・粗放的な作り方は支持されやすいのに、集約的・高技術型はむしろ強く拒まれる——消費者調査ではそんな逆向きの結果が出ています(参考: 1, 3)。同じ「クリーン」「無農薬」という言葉でも、刺さる相手と裏目に出る相手がいる。「説明すれば納得してもらえる」と一方向に考えるより、この相手はこの言葉をどう受け取るか、を先に見ておくほうがいいのです。
測れる強みと、清潔と言い切らない管理
相手によって刺さり方が違うとしても、事実を求められたら置けるものは置けます。では、軸ごとに事実を置く、とは具体的にどういうことか。硝酸態窒素が、その空白を分かりやすく見せてくれます。
水耕は閉鎖系で養液を測れるので、窒素の与え方や濃度は土耕より数値で管理しやすい。そこは強みで、聞かれれば事実で返せます。実際、収穫の2〜4日前に施肥を止めるだけで、止めずに続けた場合に比べて葉の硝酸塩が平均で29〜58%低くなった、という水耕レタスの試験があります(参考: 4)。好適な条件下では、それでも収量はほとんど落ちなかったそうです。土だと根まわりの養分を途中で切り替えるのは難しいものですが、養液なら後半の窒素の入れ方を操作できる。ここは「閉鎖系で測れる・操作できる」が効く場面です。ただし効くかどうかは光や温度などの条件しだいで、いつでも同じだけ下がるとは限りません。この硝酸態窒素そのものについては、過剰摂取の害を心配する声もある一方、WHOは大人への健康影響はないとしていて、日本では記事公開時点で食品中の基準値は定められていません。だからこそ、なぜ下げるのか・どこまで下げるのかは、相手の仕様書が何を求めているかに合わせて決める話になります。
一方で「閉鎖系だから清潔」という言い方も、少しだけ慎重にしたほうがいい。正確には、閉鎖系そのものが自動的に清潔なのではなく、養液の流量をきちんと確保して回し、入れ替えるという管理ができているから清潔に保てている、という順番です。私の実感では、流量さえ確保できていれば、養液の中に食品衛生上問題になる菌はほとんどいません。逆に、その管理が緩んで養液が淀めば、日和見性の菌が出てくることもある——水耕の栄養液からそうした菌が分離された、という報告もあります(参考: 5)。だから買い手には「閉鎖系だから清潔」ではなく「流量と入れ替えをこう管理しているから清潔に保てている」と返すほうが、事実に近いし、相手にも届きます。殺菌も同じで、紫外線や加熱は害のある菌だけを選んで落とせるわけではなく、役に立っている菌も一緒に減ります。だから「殺菌しているから安心」と一語で済ませるより、流量や入れ替えをどう管理しているか、を軸ごとに見せるほうが正直です。ゾーニングや洗浄など現場の衛生管理で何を備えるかは、その軸を具体的に埋める部分です。
やることは前の章と同じです。聞かれた軸ごとに、測れているものは数字で、管理しているものはやり方で返す。クリーンという一語で全部に蓋をしてしまいがちですが、空白があると認めて、軸ごとに事実を置いていくほうが、結局は信用されます。
自分で説明する範囲と検査に渡す範囲
「測れているものは数字で、管理しているものはやり方で」——これは自分の言葉で返せる範囲の話でした。ただ、心配ごとのなかには、それだけでは足りないものもあります。残留農薬の検査値や菌数、産地のトレーサビリティのように、こちらが「やっています」「使っていません」と言うだけでは届かず、第三者の検査や公的な記録の裏づけがいる領域です。自分の説明で足りる範囲と、外部の証明に渡したほうがいい範囲。その線は、どこに引いておくと後で困らないのか。
基準は、自分が出している数字に責任を負えるかどうかです。培養液の濃度や入れ替えの頻度、収穫日、栽培環境は、自分の記録ですから、聞かれれば自分の言葉で返せます。一方、残留農薬の検査値や菌数、産地のトレーサビリティは違います。「使っていません」「清潔です」と自分で言っても、それは自分の言葉でしかなく、相手が取引の根拠にできる証拠にはなりません。ここは第三者の検査機関や公的な記録に渡すべき範囲です。私が取引先とやってきた範囲では、量販や給食の仕様書に、菌数の基準や残留農薬の検査値、産地のトレーサビリティといった項目が並んでいて、それを第三者の検査結果や記録で出すことを求められる、という場面がありました。後で困らないための線は、相手が求めているのが自分の説明への納得なのか、それとも提出できる証明なのか、というところにあります。量販・外食・給食といった販路ごとに求める水準は変わるので、誰に出す証明なのかも合わせて見ておくとよいでしょう。証明がいる話は、自分の言葉でいくら丁寧に説明しても、それだけでは取引の証拠にはなりません。だからこそ、早めに「そこは検査に出します」「対応していません」と渡してしまうほうがいい。
正直に言えば、私自身は10年以上この現場にいて、ここで採れた野菜を日々食べ続けて、体調に問題を感じたことはありません。ただ、それは私の納得であって、買い手に渡せる証明とは別のものです。自分が安心して食べていることと、取引先に提出できる根拠を用意することは、混ぜてはいけません。ここまで来ると、最初の「水耕は危険か」という問いは、ずいぶん遠くに見えてきます。水だけで安全、無農薬で安全、クリーンだから安心。一番言いやすい一語を、すべての心配に貼り付けて、それで全部カバーした気になっていなかったでしょうか。無農薬は、農薬の一点しか語っていません。水も虫も衛生も別の軸であり、しかも自分の言葉で返せる範囲と、検査に渡すべき範囲がまた別です。安全か危険かを言い争うのではなく、聞かれた軸ごとに、自分が責任を負える事実はその場で返し、証明がいるところは早めに外に渡す。その線引きこそが、買い手に安全性を保証として渡す設計であり、最初のズレも、そこで初めて埋まっていきます。