現場管理技術
NFTとDFTは優劣でなく選んだあとの運用で採れ高が決まる
方式の優劣では採れ高は決まらない
養液のシステムをこれから組む、あるいは組み替えるという話になると、たいてい最初にぶつかるのが「NFTにするか、DFTにするか」ではないでしょうか。薄く流すか、深く溜めるか。調べると比較表がいくらでも出てきて、どちらにも一理あって、かえって決められなくなる――そんな足踏みを、何日も続けてしまう。そういうことはないでしょうか。
調べれば調べるほど「決め手がない」という感じになってきます。NFTは流れているから根腐れしにくいと聞くと、ではNFTかと思う。でもDFTは水が多いぶん停電や故障に強い、トラブったときに時間が稼げると読むと、葉物を量産するなら結局そちらが安心なのかと揺り戻される。比較表を見ても、項目ごとにどちらかに丸がついていて、合計したらほぼ引き分けになる。これは調べ方が足りないというより、そもそも引き分けになるようにできているのではないか――そう感じたことはないでしょうか。どちらを選んでも、結局その後の水の管理しだいなら、最初のこの分岐にこんなに時間をかけているのは何なのか、と。
実際、現場をいくつも見てくると、その「引き分けになるように作られている」という見方のほうが正しいのです。あの比較表は方式の性質を並べているだけで、現場の採れ高を決める変数が入っていません。レタスを何年も見てきて、収量や品質がぶれた原因をたどると、ほぼ毎回「方式」ではなく「その日の流量・水温・溶存酸素」のどれかでした。NFTで根腐れが出るのは方式のせいではなく、流量が落ちて膜が切れて根の先が乾いたとき。DFTで間延びするのも方式のせいではなく、水温が上がって溶存酸素が抜けて根が弱ったとき。どちらを選んでも、結局そこを毎日見るかどうかで決まります。だから比較表の合計が引き分けになるのは当たり前で、そこに勝敗をつけようとすること自体、問いの置き場所が違うのです。
では方式はどう決めるのか。これはけっこう素直で構いません。手元の制約で決まります。停電や故障で何分耐えたいか、その安心料として水量が欲しければDFT寄り。棚の段数を増やして軽く作りたい、配管も単純にしたいならNFT寄り。規模と、自分が許せるリスクの幅で、ほとんど自動的に決まる範囲です。何日も悩むほどの分岐ではありません。
むしろ時間と手間をかけるべきなのは、選んだあとの話です。どちらの方式でも共通して効くのは、「止まったら気づく仕組み」です。ポンプが止まった、水温が上がった、というのを、人が棚の前に立っていない時間帯にどう拾うか。NFTは流れが命綱だから止まると早い、DFTは水量があるぶん気づくのが遅れても少し猶予がある――その違いはありますが、どちらにしても「気づくのが遅れて手遅れ」が一番の損失です。だから、迷っている時間を方式の優劣に使うより、「どちらの方式を選んでも、止まったことに何分で気づけるか」を先に決めてしまう。そこが決まると、方式の選択はその下にぶら下がる小さな選択になって、すっと決まります。
「引き分けになるように作られている」のは、比べた研究を見てもそうです。NFTと、DFTと同じ湛液の仲間であるDWC(深水)とでレタスなどの葉物を育てて生育量や収量を比べても、両者に大きな差は出ず、どちらも収穫適期の重さまで届いた、という報告があります。方式そのものでは差がつきにくいというのは、現場の実感だけでなく、比較試験のほうにも出ているのです。(参考: 1)
方式を引っぱるのは許せる時間と規模
養液システムを新しく組む、あるいは組み替えるとき、方式の優劣そのもので採れ高が決まるわけではない、という話をここまでしてきました。ではどこで差がつくのか。前章の最後に置いた「止まったことに何分で気づけるか」という問いを、ここから掘り下げていきます。

この問いを立てると、すぐに一つの疑問が浮かびます。その「何分」は、結局のところ方式から逆算されるものではないか、という疑問です。NFTなら止まったときに乾くのが早いので、許せる時間が短い前提で監視を組まなければなりません。DFTなら水量のぶん猶予があるので、もう少しゆるくてよい。だとすると「何分で気づくか」を先に決めると言いながら、実は方式によって要求される厳しさが変わってきます。方式を選ぶ前に「自分は何分なら許せる」と決め切れるものなのか。それとも、許せる時間のほうが先にあって、そこからDFT寄り・NFT寄りが自然と決まるのか。
順番ははっきりしています。許せる時間のほうが先です。方式から逆算するのではありません。許せる時間は方式ではなく、現場の事情で決まります。夜間や早朝に人が立っていない時間がどれだけあるか、異常に気づいてから誰かが棚にたどり着くまで何分かかるか、止まった一棚で失う苗が何枚で、それがいくらの損になるか。これらは方式を選ぶずっと前から、その現場に最初からある数字です。人工光型の閉鎖室で、室温が通年ほぼ一定だという前提なら、止まったときのリスクという面で効いてくるのは、ほぼこの「人がいない時間と、駆けつけまでの時間」です。もちろん現実には、床にかけられる水の重さや見積もり、すでに入っている設備といった即物的な事情も方式を引っぱります。ただ、それらも比較表をにらんで出る答えではなく、やはり自分の現場に最初からある数字です。
その「許せる時間」が決まると、方式は逆算ではなく、必要条件として絞られます。たとえば夜間に四時間無人で、駆けつけに三十分かかる現場なら、NFTで流れが止まった瞬間に膜が切れて先端が乾く、あの速さには間に合いません。だからNFTを選ぶなら監視を厳しくするという話ではなく、そもそも選びにくいのです。逆に、その猶予を水量で買えるならDFT寄りにします。方式が監視の厳しさを決めるのではなく、先にある許容時間が、方式とその水量を一緒に引っぱってくる。だから矛盾はしていません。「何分なら許せるか」は方式と無関係に現場で先に決まり、方式はその時間を満たすための一つの手段にすぎないのです。水量で時間を稼ぐか、監視と駆けつけ体制で稼ぐか、その配分の問題です。そして実際には、DFTを選んでも溶存酸素を見ていなければ猶予は幻ですし、NFTでも止まったら即わかる仕組みがあれば速さは怖くありません。結局また、選んだあとの運用に戻ってきます。だから、許せる時間を先に紙に書いて、方式はそこにぶら下げる、という順番がよいのです。
もう一つ、方式を素直に引っぱってくる手元の事情があります。規模と、どこまで機械でやるか、です。小さく手作業で回しているうちはNFTの軽さや配管の単純さが噛み合いますが、規模が上がって定植や搬送、収穫を機械化していくと、パネルごと流して扱える湛液式のほうが噛み合ってきます。ただし、これは「規模が大きいからDFTで決まる」という話ではありません。実際に効いているのは方式そのものではなく、「人の手が何回その水に触るか」のほうです。手作業の段階は、止まっても人が前にいるから早く気づけます。だからNFTの速さが怖くありません。機械化していくと、人が棚の前に立っている時間がごっそり減ります。すると、さきほどの「無人の時間と駆けつけまでの時間」が一気に伸びます。つまり規模や自動化は、方式を直接決めているように見えて、ほんとうは「許せる時間」のほうを動かしているのです。そちらを経由して、方式に効いてきます。規模が上がる、機械化する、人が水から離れる、無人の時間が伸びる、許せる時間が縮む――その縮んだ時間を水量で買いたければDFT寄りに寄る、という連鎖です。
そして、現実には混ざります。規模が大きくても全部が機械化されるわけではありませんし、自動化したラインでもセンサーと通知をちゃんと組めば、無人でも「止まったら即わかる」を取り戻せます。そうすると、規模が大きくてもNFTが消えるわけではありません。逆に小さくても夜間完全無人ならDFTの水量が効きます。だから「規模が上がったらDFT」と一枚で言い切ることはできません。規模と自動化は方式選びにちゃんと効きますが、効き方は方式を直に決めるのではなく、人が水に触る回数を変え、無人の時間を変え、許せる時間を変える――その一段上を動かしているのです。だから規模が変わったときに最初に引き直すのは比較表ではなく、「今この規模で、何分無人になって、止まったら何分で気づけるか」のほうです。方式は、やはりそこにぶら下がってきます。
選んだあとに毎日見る流量と水温と溶存酸素
選んだあと、関心は完全に「毎日どこを見るか」に移ります。方式の議論で繰り返し出てきたのは、流量・水温・溶存酸素の三つでした。では、これを毎日見るとき、実際に何をどう見ればいいのでしょうか。朝にひと回りするとして、三つをどの順番で、どこの数字を見て、「これは大丈夫」「これはまずい」をどう線引きすればいいのか。三つは見るタイミングまで同じでいいのか。水温のように日中じわじわ動くものと、流量のように止まった瞬間アウトなものとでは、見方が違ってきます。

実は、この「止まった瞬間アウトなもの」と「じわじわ動くもの」を分ける感覚そのものが、もう答えになっています。三つは、見方が完全に二系統に分かれるのです。
まず流量は、はっきり「止まった瞬間アウト」型です。だから、朝ひと回りして目で見て確かめる、という見方とは相性がよくありません。人が前に立っていない時間に止まってしまうと、次に誰かが見にいくまでのあいだ、ずっとアウトのまま進んでしまうからです。ですから流量だけは、人の目視ではなく機械に拾わせます。ポンプなり流量なりが落ちた瞬間に検知して、人に通知が飛ぶ。ここは仕組みに任せる場所です。そして流量は、「ゼロかどうか」だけでなく、いい帯があります。薄すぎて膜が切れても根の先が乾きますし、速すぎても根が落ち着きません。ですから「止まっていないか」と同時に、「だいたいこの帯に収まっているか」を見ます。具体的な数字は現場で詰めるものなので断言しませんが、薄すぎ・速すぎの両側にまずさがある、という感覚は持っておくとよいでしょう。
流量にいい帯がある、というのは数字で見てもはっきりしています。NFTレタスで流量を振った実験では、いちばん収量が出たのは1.0 L/min付近でした。これより遅い0.5 L/minだと、水の吸収や気孔の動きが鈍って生鮮重で3割近く(約28%)落ち、葉の硝酸塩も上がります。逆に4.0 L/minまで増やすと、今度は根が物理的に傷んで黒ずみ、吸収力が落ちます。(参考: 2)別のスイスチャードの実験でも、適度な流量は根によい刺激になるが、過剰になると根が縮んで生育が落ちるという、山なりの応答が出ています。(参考: 3)「流していれば安心」でも「多いほどいい」でもなく、速すぎず遅すぎずの帯に収めて、はじめて持ち味が出るのです。
一方、水温と溶存酸素は「じわじわ」型です。日中、空調の効きが甘い時間帯にじわっと動く程度なので、毎日の目視と記録で拾えます。朝ひと回りのときに水温と溶存酸素を見て、その日の値を書き留めておく。前の日、その前の日と並べると、じわじわの動きが線で見えてきます。そしてこの二つは別々ではなく連動していて、水温が上がると、その水に溶けていられる酸素が減ります。だから水温が上がっているのに溶存酸素を見ていないと、いつのまにか根が酸欠で弱ってしまいます。特にDFTは水量が多いぶん、底のほうの酸素が抜けやすい。これは方式の弱点というより水の性質なので、運用側からエアレーションで――水に空気を送り込んで――塞いでやります。水温という入ってくるほうと、エアレーションという足してやるほう、両側から溶存酸素の帯を保つわけです。
溶存酸素を運用側で足すことにも、裏づけがあります。深く溜めた水に微細な気泡(マイクロバブル)で空気を入れてやると、ふつうの曝気より溶存酸素を高く保ちやすく、コマツナでもホウレンソウでも同じように葉物の生育が伸びた、という同じ研究グループの報告があります。(参考: 4, 5)ただしこれも「入れれば入れるほどいい」ではありません。曝気の強さには山があって、ある程度から先は頭打ちになったり、強すぎるとかえって生育が落ちたりします。流量と同じで、ここにも適量の帯があるのです。
ですから、毎日の回し方は二本立てになります。急に止まる流量は、機械が拾って即通知する。じわじわ動く水温と溶存酸素は、人が朝ひと回りして目で見て記録する。自動の検知が「急停止を取りこぼさない」役で、人の目視が「ゆるい異常が手遅れになる前に気づく」役です。どちらか片方では抜けが出ます。機械だけだと、止まってはいないがじわじわ悪い、を見逃します。人だけだと、無人の時間に急に止まったものに間に合いません。両輪で回して、はじめて選んだ方式の地力が出るのです。
二択の外と可逆不可逆の線引き
NFTとDFTだけが選択肢ではありません。DWC(深水)は、根を深い水にどっぷり浸ける方式で、水を溜めるという意味ではほとんどDFTの仲間です。湛液式の括りで見てよく、ここまでのDFTの話がほぼそのまま当てはまります。噴霧式は、根に霧を吹く方式で、溶存酸素という意味では一番恵まれています。根が空気にさらされているので、酸素はいちばん豊富です。ただ裏を返すと、水を溜めていないぶん、止まったら一番速く乾きます。NFTで「流れが止まると膜が切れて先端が乾く」と述べましたが、噴霧式はその速さがもっと際立ちます。ですからこれは、止まった瞬間の検知と停止対策をかなり手厚く組める現場の、限定向きです。そこが組めるなら強いのですが、今の二択の延長で見れば十分で、わざわざ別枠で悩むものではありません。
塞げるものと塞ぎきれないものの線引きは、「可逆か、不可逆か」で引きます。DFTの溶存酸素や流量の帯のように、ずれても気づいて戻せばまた帯に収まる、根が持ち直す――こういう可逆なものは、運用で塞ぐ側です。毎日見て、外れたら手を入れて引き戻す。ここは人と記録の仕事です。一方、NFTで流れが止まって根の先が乾いてしまう、あの乾きは戻りません。一度やられた先端は、水を戻しても元には返らない。これは運用の目視だけでは塞ぎきれません。だから検知と通知、それから非常電源やバックアップのポンプ――設備と体制のほうで、止まること自体を先に潰しておく側です。線引きはこうなります。可逆なものは運用で受ける。不可逆なものは運用に背負わせず、設備と立地で先に消しておく。じわじわの可逆は人が見る、急に来る不可逆は機械と備えで止める、というわけです。
ただ、可逆か不可逆かは方式に貼りつくラベルではない、という点だけ補っておきます。流量だって上げすぎれば根は不可逆に傷みますし、DFTでも夏の高水温や淀みを放置すれば、たっぷりの水が今度は冷めない温水に変わって根が腐る――水量があるという強みが、放置すると裏返るのです。だから「DFTは水量があるから安全」とは言い切れません。境目を動かしているのは方式の属性ではなく、「ずれの幅と、どれだけ放置したか」のほう。DFTが稼いでくれるのは”気づいて動くまでの猶予”であって、見ないでいいという保険ではないのです。
この話の射程と持ち帰る一本
最後に、範囲を一つ置いておきます。ここまでの話は、人工光型の閉鎖室で葉物を、清浄な水で回す前提でした。果菜や根の張る作物、大規模、太陽光を採り入れる温室との採算比較になると、同じ軸でも重みの付き方は変わってくるはずです。そこは「この見方を当てるとこうなるはず」という見立てで読んでください。それから、選んだ後の養液そのものの詰め方――ECやpHをどう合わせるか、病害をどう抑えるか――は、方式選びとはまた別に、一本立てて語るべき話です。
そのうえで、ここまでの話を一言でまとめると、こうなります。NFTかDFTか、という問いに何日向き合っても、採れ高はそこでは決まりません。方式は規模や手元の制約で素直に決まる程度のもので、絶対こちらが上だという答えも、一つで決まる条件もありません。効いてくるのは、選んだあとの流量・水温・溶存酸素を毎日見ることと、止まったら気づく仕組みのほうです。だから一言で言うなら、方式選びに悩んでいる時間を、選んだあとの運用に回してほしい。それに尽きます。