経営・採算
過疎地・離島を屋内農場で救う事業、続くのは意義より「払える値段」
生鮮食品が買いにくい過疎地や離島——いわゆる食料砂漠(フードデザート)を屋内農場で救う。この組み合わせは、資料の表紙でよく映えます。社会課題と先端技術が一枚で揃い、誰に見せても「いい話ですね」と返ってくる。けれど、続いた農場とたたんだ農場を事例として並べてみると、別れ道は意義の大きさではなかったようです。続いたほうには、住民が払える値段、運べる距離、補助の残り年数が、たまたま同時に揃っていました。
私自身が回ったのは人工光型の葉物工場で、海外の都市農業を現地で見届けたわけではありません。だからここから先は、人工光型で採算とにらみ合ってきた目で、論文と事例を並べて読んだときに見えてくる筋として書きます。
意義の大きさは事業を動かさない
過疎地や離島に屋内農場をつくる。生鮮食品が買いにくい地域だから、つくれば意義がある——最初はそう素直に考えます。ところが事例を並べていくと、通る通らないを分けているのは意義の大きさではなさそうです。住民が実際に払える値段、運ぶ距離、補助金があと何年残っているか。そういう地味な条件が揃うかどうか。しかも厄介なことに、意義が高い案件ほど、その条件は厳しい場所だったりします。
これは考えすぎではないように思います。意義というのは、案件を動かす力にはなりにくい。意義が大きい場所は、たいてい人口が減っていて、所得が低くて、補助金頼みです。つまり「困っている度合い」と「事業が回る条件」は、構造的に逆を向きやすい。だから意義が高いほど条件は厳しくなりがちです。これは法則というより、事例を並べたときに私が感じている傾きです。
その地味な条件は、別々の話に見えて実はつながっています。補助があと二年なら、その二年で「補助なしの値段でも住民が買い続けるか」まで見えないと、結局途中で止まる。意義は入口の理由にはなりますが、続くかどうかは別の物差しで見るしかありません。私はこの記事で、見落とされやすい条件を〈払える値段・運ぶ距離・補助の残り年数〉の三つに束ねて整理しています。これは支配因子の網羅リストではなく、企画書を組むときに私が手元で使っている切り口です。採算そのものを左右する要因は、後で見るように労働コストや電力、販売規模など、もっと細かく分かれます。
この見立ての土台は、北米の都市農業を扱った議論にあります。そこでは、「低所得層に安い食料を届ける」「就労訓練の場になる」「生産者がちゃんと稼ぐ」、この三つを外部資金なしに同時に立てるのは無理だ、と整理されています(参考: 1)。同じ系統の調査では、都市農場のおよそ三分の二が年間売上1万ドル未満だったとも報告されています(参考: 2)。意義はあっても、単体で全部背負わせれば経済は破綻する、という形です。さらに、ニューヨークやシカゴの屋上・垂直農場は、低所得地区より中位所得地区に立地が集まりがちで、先進国の都市農業はそもそも低所得層への基礎食料供給より食の質的改善や社会・教育的な目的に向かいやすい、という指摘もあります(参考: 7)。「困っている人に届く」ところは、放っておいて自然には埋まりにくいようです。なお、ここで引いているのは土耕中心の都市農業を含む海外の知見で、後で触れる人工光型の電力・作物の話とは層が別だという点は、先に断っておきます。
場所は困窮度ではなく採算で先に選ぶ
補助が切れる前提でやるなら、最初から補助なしでも成り立つ場所を選ぶのが筋に見えてきます。でもそうすると、いちばん困っている地域ほど後回しになる気もしてくる。実際にこういう事業をやる人は、その「困っている度合い」と「補助なしで回るか」のどちらを先に見て場所を選ぶのか。気になったことはないでしょうか。

私の見立てでは、先に見るべきは「補助なしで回るか」のほうです。困っている度合いは案件を選ぶ理由にはなるけれど、場所を絞る物差しにはしにくい。むしろ順番が逆で、補助なしでも住民が買い続けられるラインを満たす場所をまず候補にして、その中で一番困っている所を選ぶ。困窮度で選んでから採算を後付けすると、たいてい途中で止まる——これは人工光型で採算とにらみ合ってきた経験からも、そうだろうと思えます。
ただ、いちばん困っている地域が後回しになるという引っかかりはその通りで、そこは事業の物差しだけでは埋まりません。だから二本立てにする手があります。補助なしで回る場所で本体を立て、そこで黒字と運営ノウハウをためてから、採算の苦しい地域へは別の財布——行政や寄付、公共の枠——で薄く広げる。「回る場所」と「届けたい場所」を同じ採算で無理に一致させない。先に見るのは採算、でも困窮度は捨てずに別ルートで持っておく、という設計です。
この「採算を先に見る」という順番は、研究の整理とも重なります。都市の商業的な農業のビジネスモデルは農村型とは別物で、差別化・多角化・低コスト特化のどれかに振らないと長続きしない、と条件付きで語られている。しかも多くのプロジェクトが外部の助成金や無償・ボランティア労働に支えられていて、収益性と資金調達が共通の経営課題として繰り返し出てきます(参考: 3, 4)。「採算が立つ形」はかなり限られているようです。財務モデルの試算でも、採算を左右するのは労働コスト・電力価格・販売規模だとされます。レタスを対象にした机上試算では、熟練労働の賃金が時給19ドルを超えてユニット数が少ないと採算が崩れ、逆に規模を広げて販売価格を確保できると黒字側に動く、とされています(参考: 5)。「回るかどうか」は立地や気持ちではなく、この数本の要因の組み合わせで決まる、という整理です。
誰がいくらで買うかで価格を二段に分ける
屋内農場の野菜は、どうしても割高になります。すると、いちばん届けたいはずの、所得が低くて生鮮が買いにくい人ほど、その値段では手が出ない——という逆転が起きる。では、誰がいくらなら買い続けるのか。

この逆転は、「全員に安く売る」ではたぶん解けません。屋内農場の野菜を、所得のいちばん低い層が定価で買い続ける、という前提はまず置けない。では誰が買うのか。私の設計案は、最初に値段で支える層を中間層に置くことです。鮮度や地場産、無農薬といった価値に少し上乗せして払える人たち。そこが定価の本体を支える。そのうえで、いちばん届けたい低所得層には、同じ野菜を別の値段で届ける。フードスタンプや給食、フードバンク、地域の現物支援——つまり「買う人」と「払う人」を分ける仕組みに乗せる、という発想です。本人の財布だけで定価を成立させようとすると、たいてい届きにくい。だから「いくらなら買い続けるか」は一つの数字ではなく、中間層が定価で支えるラインと、支援込みで低所得層に届くラインの二段に分けて設計する。この二段が両方引けるように組まないと、割高な野菜は回りにくい——というのが、いまの私の読み筋です。実際に二段で回った事例を私が確かめたわけではないので、ここは実証ではなく設計の提案として置いておきます。
値段の高さが買う・買わないを大きく左右することは、消費者調査でも示されています。植物工場・垂直農場の野菜について、価格が購買意図を左右する決定的な要因として挙げられている(参考: 6)。「値段で手が止まる」というのは、見過ごせない壁のようです。それに、先ほど触れたとおり、ニューヨークやシカゴの屋上・垂直農場の立地は低所得地区より中位所得地区に集まりがちだとも指摘されています(参考: 7)。放っておくと、いちばん届けたい層から物理的にも外れていく。だから「買う人と払う人を分ける」という設計は、その自然な傾きをわざわざ押し戻す工夫として考えています。
屋内農場が解ける生鮮と解けない主食
屋内農場では、そもそも何が作れるのか。レタスやハーブのような葉物はよく耳にします。でも、生鮮が買いにくくて本当に困っている人が必要としているのは、葉物よりもお米やいも、たまねぎといった主食や日持ちする野菜ではないか。作れるものと、その地域が本当にいるものとの間に、ずれはないのか。

ここははっきりしています。濁すと話がきれいになりすぎる。閉鎖型の人工光型を前提にすると、屋内農場が採算に乗せられるのは、基本的に葉物とハーブ、せいぜいトマトやいちごあたりまでです。背が低くて、軽くて、すぐ収穫できて、鮮度が値段になるもの。逆に、お米や小麦、いも、たまねぎのような主食・日持ち野菜は、屋内ではまず採算が合いません。広い土地に日光で安く大量に作るのが一番強く、電気代をかけて屋内で作るほどコストが見合わない。カロリーあたりの単価で、露地に勝てないのです。
だから「過疎地や離島の食料事情を屋内農場で丸ごと解決」とは言えません。ここは分けて見たほうがいい。屋内農場が解けるのは、生鮮の「質」の部分——新鮮な葉物が地域に全然届かない、という穴です。解けないのは、カロリーと主食の部分。そこはどのみち外から運ぶか、別の手段で支える話になる。屋内農場は「生鮮の一角を埋める部品」であって、地域の食全部を背負う装置ではありません。
この切り分けは、複数のレビューも同じことを言っています。垂直農場や閉鎖環境型の農場で商業的に成り立つのは葉物・ハーブ・マイクログリーンが中心で、米・麦・トウモロコシのような——世界の食料エネルギーのおよそ6割を供給する主食穀物の屋内生産は、いまのところ経済的に成立しません(参考: 8)。従来の栽培に比べて水を最大99%減らせるといった利点も、効くのは葉物などの特定作物の話で、主食まで一般化はできません(参考: 8)。電気代の重さも具体的で、人工光型の垂直農場では電気代が生産コストの20〜40%を占め、その電力消費の60〜85%を人工照明が占めます(参考: 9)。露地が日光で無料にすませているところを、人工光型は電気で買っている。だから主食をカロリー単価で露地に勝たせるのは、構造的に難しいのです。
海外事例の移植と補助のあとに残るもの
こういう話で持ち出される事例は、アメリカの都市部の食料砂漠が多いように思います。中間層が厚くて、支援の枠組みもある。あれを日本の過疎地域や離島にそのまま当てはめていいのか、と引っかかった方もいるのではないでしょうか。あるいは、補助金で建てた施設は、補助が切れたあと本当に続いているのか。建てるところまでは話を聞くけれど、その後がどうも見えてこない。
ここで一つ、足場を整理しておきます。これまで引いてきた米国都市農業の文献は、「意義だけでは採算は立たない」「割高は届きにくい」「主食は屋内では合わない」といった、採算の一般原理を示すための出典です。一方、日本の過疎地や離島でそれがどう出るかは、直接当たった一次資料がほとんどない空白で、原理を当てて推論するしかない対象です。両者を混ぜないように、ここから先は「どこまでが移せる原理で、どこからが日本固有の空白か」を意識して進めます。
アメリカの都市部の事例は、前提がかなり違います。あそこは都市の中の食料砂漠で、車で十五分行けば中間層の住む街がある。フードスタンプのような食料支援の制度も根づいている。だから「中間層が定価を支え、低所得層に支援込みで届ける」二段が、そもそも引きやすい。一方、日本の過疎地や離島は、人口密度が薄く、中間層の厚みも支援枠も都市部ほどはありません。おまけに運ぶ距離が長い。屋内農場の本来の強みは産地が近く物流費を抑えられる点にありますが、過疎地や離島ではその距離が伸び、せっかくの強みがかえって値段に乗ってくる。同じ二段は引きにくくなる。だからそのまま移植はできず、前提から組み直す話になります。
補助で建てたあとどうなるか。正直に言えば、日本の植物工場は補助を入れても経営的に成立せず赤字、という例が少なくありません。補助が切れたあとまで見届けないと、その後どうなったかは本当に見えないままです。
しかもこれは、日本の数字にも出ています。国の調査では、500億円を超える補助金が投じられたにもかかわらず、人工光型植物工場の約56%が赤字で、黒字を達成しているのは約2割にとどまる、とされています(2017年時点・参考: 10)。残りの多くは収支均衡で、黒字に届いていないのが約8割という姿です。同じ年に、業界誌で「補助金500億円でも75%が赤字」と書いた論者もいます(参考: 11)。この75%は、赤字に収支均衡まで束ねた数字と読むのが自然で、国の調査が示す「黒字に届かないのが約8割」とほぼ同じ景色を、別の切り口で言ったものでしょう。いずれにせよ、ここで効いているのは型式の差です。赤字が重いのは人工光型(閉鎖型LED)で、太陽光型や併用型は日射を使える分だけ電力前提が変わります。別の公的調査(農林水産省の施設園芸・植物工場の実態調査)では、太陽光型・併用型は近年7割前後が非赤字とされます。「建てる」と「続く」が別問題だというのは、この数字にかなり露骨に出ています。
補助金そのものの効き方も、丁寧に見た研究があります。査読前のプレプリントですが、スマート農業の補助には、それがなければ採用しなかった農家を動かす「追加性」が確かにある一方で、補助がなくても自費で入れたであろう農家にも配ってしまう「デッドウェイト(無駄打ち)」も同時に存在する、と整理されています(参考: 12)。補助は万能のスイッチではなく、誰に絞るかで効きめが大きく変わる道具です。補助の残り年数だけでなく、その補助が本当に効く相手に当たっているか、まで見る話になります。
意義と採算を別の数字として並べる
最後に、ここまでを貫いていたものを一つに絞ります。屋内農場が過疎地・離島で続くかどうかは、「意義が高いほど通る」のではなく、住民が払える値段・運ぶ距離・補助の残り年数が揃うかで見えてくる——少なくとも、私はそういう切り口で企画書を読んでいます。これは事業を止めるための理屈ではなく、企画書をどう組むかという順番の話です。社会的意義のページと採算条件のページを分けて並べ、採算条件の側が社会的意義の側で自動的に埋まらない前提で数字を組んでください。意義は入口の理由として堂々と書いていい。ただ、その隣に、誰がいくらで買い、どこへいくら運び、補助があと何年残っているのかを、別の数字として置く。そして覚えておいてほしいのは、屋内農場はあくまで「生鮮の一角を埋める部品」であって、過疎地・離島の食料事情を丸ごと解く装置ではない、ということです。ここを正直に書けるかどうかが、続く企画と止まる企画の分かれ目になります。