栽培品目
植物工場で米は無理、その例外はどこにある
「米は植物工場では無理だ」と一度は聞いた。それでも諦めきれずに精査している。この記事を読んでいるのは、たぶんそういう方だと思います。
地域振興の会議で、食料安全保障の議論で、あるいは遊休施設の活用案として、「米の工場生産」は繰り返し持ち上がるテーマです。海外で成功したという話も耳に入ってくる。だから「日本でも」と思う。一方で、農業の専門家に聞けば「採算に合わない」と即答される。どちらが正しいのか、判断材料がほしい。
つまずきやすいのは、米栽培を全国一律の話として論じてしまうことです。「米は植物工場で作れるか」という問いには、その下に隠れた条件が抜けています。どこに工場を建てるのか。電力はいくらか。買い手はどこにいるのか。実際には、無理なのが原則で、例外が条件付きで存在する、というのが現実に近い。その例外がどこにあるのかを、順を追って見ていきます。
工場の米が不利なのはエネルギーだけではない
米は、植物工場なんてものを持ち出さなくても、田んぼで普通に作れる。しかも安い。レタスやイチゴを工場で作るのはまだわかるとして、その米をわざわざ工場で、と最初に聞いたとき、正直「なんで?」と思いました。土地もいる、電気も食う。なのに海外ではうまくいった、という話もちらほら耳に入る。全部がダメというわけでもないらしい。そのちぐはぐさが引っかかって、何が違うとうまくいくのか、知りたくなったんです。
米が安いのは、田んぼという土地がほぼタダみたいなものだからです。雨が降って太陽が照る、その分のコストを誰も払っていない。ところが工場でやると、そこに全部値札がつきます。光も温度も、人がエネルギーで用意することになる。だから普通の主食用の米の値段でそのエネルギーコストを取り返そうとしても、まず勝ち目はない。
ただ、稲が工場に向かない理由は電気代だけではありません。稲はそもそも作物として工場と相性が悪い。可食部の割合が低くて、もみがらや葉・茎といった売り物にならない部分が多い。その廃棄する部分にも光と電気を当てて育てているわけですから、投入したエネルギーがそのまま無駄になる。おまけに栽培期間が長く、日本の気候では年に2回とれればいいほうで、回転が遅い。設備費を回収したい工場にとって、回転の遅さはそれだけで重い。電気代以前に、稲という作物の形そのものが、工場の採算と噛み合わないんです。
それでも海外でうまくいったという話は、たいてい条件が特殊なんです。電気がやたら安い土地。近くに高く買ってくれる相手がいる。あるいは医薬品原料のように、米そのものが普通の何倍もの値段で売れる用途。要するに、米だから無理という話ではない。安い電力と近い買い手と高く売れる出口、その三つがどこまで揃うか――そこで採算の見え方が大きく変わる、という話なんです。逆に言えば、三つが遠い場所でいくら技術を磨いても、採算にはなかなか届かない。
「米だから不利」ではなく「使い方とエネルギーで不利」。この見立ては数字でも一部裏が取れます。水耕のレタスを露地と比べた試算では、同じ面積で収量は11倍とれた一方、エネルギーは82倍かかった、という報告があります(参考: 1)。土地や水では勝てても、電気では桁違いに負ける。その非対称がはっきり出ているんですね。室内で穀物を育てる試算でも、運営コストの半分以上を照明の電気代が食っていました(参考: 2)。だからこそ、米・麦・トウモロコシのような、世界の食料カロリーのおよそ6割を支えている主食穀物は、今のコスト構造では当分のあいだ工場では採算に乗りにくい。あるレビューもこの方向で整理しています(参考: 3)。
採算が立つ出口は高く売れる用途に限られる
では、どんな出口なら工場の米が成り立つのか。鍵は「普通の食べる米とは値段の桁が違う」用途です。代表的なのが、医薬品の原料になる特定の成分を高濃度に含んだ米。こういう米は販売単価をうんと高く設定できますし、栽培環境を細かく管理して作物の中の特定成分の濃度を高めるのは、まさに植物工場が得意とする領域です。光も温度も完全に管理できる工場が向いていて、高くても元が取れる。食品の安全性や安定供給への意識が高まれば、工場産の米そのものに需要が生まれる、という筋もありえます。

この「高単価でなければ吸収できない」という温度感は、いま工場で実際に回っている作物の顔ぶれからも見えてきます。商業的に成立しているのは葉物野菜・ハーブ・ベリー類にほぼ限られていて、これらは世界のカロリー供給で見るとわずか6%ほどにとどまる、という指摘があります(参考: 4)。屋内農業が対象にできる高付加価値の作物は、農地面積でいえば4%程度という見積もりもあります(参考: 5)。裏を返せば、その狭い高単価の枠に入れる出口を持っていないと、工場の電気代は吸収できない。米そのものではありませんが、味覚を変える機能性タンパク(ミラクリン)を組換えトマトで作る、という研究用途では、光の当て方ひとつで単位面積あたり・単位電力あたりの収量が変わるほど作り込んで、ようやく高付加価値生産として成り立たせています(参考: 6)。米の高付加価値化も、この延長線上で考えるとイメージしやすい。それくらい高く売れる出口でなければ成り立たない、ということです。
種もみや研究用の米も、この高単価の出口に連なる例ではあります。品種改良の途中の系統を、わずかな量だけ病気や交雑から守って育てたい――そういう研究フェーズの管理には、環境を閉じられる工場が向いている面もある。ただ、これらは医薬品原料ほど単価の桁が立つわけでもなく、市場としても小さい。あくまで従属的な例として頭の隅に置く程度がちょうどいいと思います。
では日本で三つが揃うか。正直、かなり厳しい。電気はむしろ高いほうですし、米なら田んぼがいくらでもある。条件で勝つというより、高単価の出口を持っている人が、たまたま安く電気を引ける場所を確保できたとき、ようやく一か所成り立つかどうか。国全体でやる話ではなく、点でしか成立しにくい、という感じなんです。
海外の成功は技術ではなく立地の話
日本では点でしか成立しにくい。では、海外で成立したように見える事例は、何が違うのか。海外で米の工場栽培がうまくいったというニュースを、見かけたことはありませんか。中東の砂漠、標高の高い土地、離島のような場所での話です。ああいう事例を目にすると、「じゃあ日本でも」と思いたくなる。けれど、それを日本に持ってきたとき何が同じで何が違うのか――そこで読み違えが起きやすいんです。

海外の成功事例は、多くが「水が希少」「電力が補助で異常に安い」「使える土地が極端に限られる」という前提の上に立っています。中東の砂漠なら、水を一滴も無駄にできないから閉鎖環境で水を回す価値が出るし、電力も国策で安いことが多い。離島や高地も、外から運ぶと高くつくから「その場で作る」こと自体に値打ちがある。つまり向こうでは、工場が割に合う理由が、周りの不利さのほうにあるんです。
日本はそこがほぼ真逆です。水は豊富、電気はむしろ高い、田んぼは余っている。だから同じ技術でも、向こうで工場を成り立たせていた追い風が、日本では全部なくなってしまう。ニュースは「砂漠で米ができた」という技術の話に見えて、本当は「砂漠だから割に合った」という立地の話なんです。技術をそのまま持ち込めば、前提だけ抜け落ちて採算が合わなくなる。
「その立地だからこそ」という構図は、試算の数字でも見えてきます。湾岸のクウェートを対象にした試算では、0.1平方キロメートルに満たない垂直農地で、主要な6品目の野菜の輸入をなくせると見積もられています(参考: 7)。ただ気をつけたいのは、これは野菜の話で、しかも「補助なしで採算が合う」とまでは言っていないことです。垂直農業全般を見渡したあるレビューは、技術的には作れても、建設・運営コストの高さと採算の取れなさが普及の一番の壁だ、と指摘しています(参考: 8)。だから海外の成功は「輸入に頼れない土地で、輸入代替として価値が出た」話であって、採算が立った話とは限らない。そこを切り分けておくと、読み違えを避けやすくなります。
国内に目を移すと、立地による電力の有利不利も見えてきます。太陽光を採り入れるタイプ(太陽光利用型)の植物工場の試算では、電力消費の85%以上が外気温と相関している、という分析があります(参考: 9)。寒冷地の野菜工場を比べた別の検討では、北海道の網走のような土地が、比較した10都市の中でいちばんエネルギーコストを抑えられた、という結果も報告されています(参考: 10)。ただし、これはどちらも太陽光利用型や野菜の話で、空調の負荷をどう抑えるかという軸の話です。照明をまるごと電気でまかなう閉鎖型LEDの米工場に、そのまま当てはまる話ではありません。それでも、「安い電力が揃う立地」というのは、電気料金そのものだけでなく、気候による空調負荷の差まで含めて見る必要がある――その目線の参考にはなります。
自分の立地で採算を確かめる順番
立地と出口で見え方が変わる、という見方がだいぶ腑に落ちてきたところで――では実際に、自分の手元で「これは採算に乗るか」を考えるなら、どこから確かめればいいのか。それともうひとつ、素朴な引っかかりとして、補助金が出ているうちは黒字に見えてしまうんじゃないか、そこはどう切り分けるのか。気になるところだと思います。
高単価の出口がある前提で、手元で確かめる順番をお話しします。まず、一番電気を食う照明と空調の電力コストから見ます。米1キロを育てるのにどれだけの電力量がいるかをざっくり置いて、それを自分が実際に契約している電力単価でかけて、1キロあたりの電気代を出してしまう。ここで普通の食べる米の値段をもう超えていたら、その先を細かく詰めても結論は変わりません。
それで芽がありそうなら、次に出口を見ます。近くに医薬品原料用や研究用のように高く買ってくれる相手が、現実に手の届く距離にいるか。さらに、その相手が自分の作る量を継続して引き取れるか。こうした高単価の出口は量が小さいことが多く、自分の分の余地が残っているとは限らないからです。出口がなければ、安く作れても在庫になるだけです。
補助金の切り分けは、いったん補助を全部外した素の採算で引き直すのが確実です。設備の補助も電気代の補助も全部なかったことにして、それでも1キロの売値がコストを上回るか。そこで赤字なら、黒字に見えているのは事業の力ではなく補助の力で、補助が切れた瞬間に消えます。補助はあくまで、素の採算が見えたあとの上乗せとして見る。この順番が安全です。
「まず電気代から」という順番には、ちゃんと根拠があります。垂直農場を整理したあるレビューでは、電気代が生産コストの20〜40%を占め、その電気代のうち60〜85%を照明が食う、と見積もられています(参考: 11)。つまり一番大きくて、しかも一番動かしにくい固まりが電気で、そこを自分の単価で置いた時点で答えがほぼ見えてしまう。実際、垂直農場で小麦を作ると露地のおよそ50倍のコストになりうる、という概算もあります(参考: 5)。ここまで開いていると、その先の細かい詰めでは引っくり返りません。だから最初に電気代を素の単価で当てる、という順番は理にかなっているんです。

やるか退くかは、三つの条件を軸に見立てる
順番がはっきりすると、ずいぶん見通しがよくなります。最後にひとつだけ、線引きの話を置いておきます。
ここまでの話は、「米は工場では無理」と一括りにするためのものでも、逆に「やればできる」と背中を押すためのものでもありません。安い電力・近い買い手・高く売れる出口――迷ったとき、まずこの三つがどこまで揃うかを正直に見てみる。判断のとっかかりとして、そう受け取ってもらえればと思います。
この三つが遠いとわかったら、そこから技術を磨いても採算には届きにくいので、いったん立ち止まる。揃いそうなら、電気代の素の採算から順に詰めていく。もちろん三つだけで全部が決まるわけではなくて、稲なら回転の遅さや廃棄の多さも効いてきますし、規模が小さければ設備費の重さも残る。三つはあくまで、迷ったときに最初に当てる足切りの軸であって、これさえ満たせば必ず成り立つ、という万能の条件ではありません。
それから、揃う見込みがあるときも、気をつけたいことがあります。医薬品原料用や研究用のような高単価の出口は、量が小さいことが多い。ですから「揃ったから詰める」のあとに、もう一度、「その出口は自分の分まで余地があるか」を確かめておく。米だから無理という話でも、技術でどうにかなるという話でもなく、迷ったときは結局、その土地でその出口が空いているかに立ち戻ることになります。
きれいに言い切れない部分は残ります。それでも、迷ったときに立ち戻る軸としては、この三つがちょうどいい入口だと思います。